「どうして」という言葉には、相手を批判する意味合いはないと思うんですけど、
言われた側は責められた気持ちになる可能性がある、かなり要注意な言葉ですよね。
「どうして◯◯したの?」
「どうして◯◯しなかったの?」
宿題、洗濯、片付け、進学、就職、結婚、出産など、いろんな言葉が入りますけど、何だか責められている気持ちになるのはどうしてでしょう。
おそらく、「相手の中に『これが正しい』という正解があって、それに沿わない自分の行動に対して説明を求められている」という気持ちになるからなんじゃないでしょうか。
尋問されているような気持ちになってしまう。
すると弁解をしたくなって、どっちが間違っているか合戦になってしまう。
でも本来の目的はそうじゃないはずなんです。
相手のことを理解したくて、理由や思考を聞きたくて、「どうして?」と聞いている。
・責める気持ちがないこと
・あなたを理解したいと思っていること
・あなたをコントロールしたいという意図がないこと
これを相手にわかってもらった上で質問する必要がある。
「どうして?」だけでは、これは伝わらない。
ではどうすればいいのか。うーーーん。
まずはですね、人は自分の行動に対して、明確に「こういう理由です」と説明できることは、とても少ないんじゃないでしょうか。
私が本気でダイエットをがんばれない理由、ついついゲームばかりしてしまう理由、長年共に暮すパートナーと結婚しない理由、出産しなかった理由・・・
これらを聞かれても、明確に「こういう理由です」とは答えられないです。
ぼんやりとした「これかな?」という思いはあるけれど、自分でも自分を完全には理解できない。
だから、これらの理由を相手に正確に理解してもらうことも不可能です。
そう、「相手から行動の理由を正確に聞き出すことは、不可能に近い」ということを理解するのが第一歩な気がします。
じゃあどうするのか。
そもそも
「どうして◯◯したの?」
「どうして◯◯しなかったの?」
と言いたくなる場面というのは、
相手の行動で自分が困っているときなんじゃないでしょうか。
(相手の理由に同意したり反対したりして、自分の信念を整理したり正当化したいときなんかもあるかもしれないですけれど、これはそもそもすべきではないと思う。)
そうなればここはアサーションの出番です。
相手を責めるのではなく、自分が我慢するのでもなく、自分も相手も尊重した上で、相談をする。
具体的には
1.困っている状況(事実)を主観を入れずに描写して
2.自分の気持ちを説明して
3.改善するための小さな提案をして
4.相手の返答がYESならこうしよう、NOならこうしよう、という選択肢を自分の中であらかじめ持っておく
というのがいいんじゃないでしょうか。
何かをお願いするときに、相手がNOと答えたときの対応を考えていないと、「どうしてYESじゃないの?」という最初の問題文に戻ってしまいます。
相手には当然NOという権利があるという前提で提案をするからこそ、YESと言ってもらえたら感謝の気持ちがわくし、NOと言われても慌てることはなく、相手をコントロールしようとしているわけではないという態度は伝わると思います。
・自分にはどんなお願いでもする権利がある
・相手にはどんなお願いでも断る権利がある
逆もまたしかり。
そういう気持ちでいられたら、自分も相手も大切にしつつ、改善の提案ができるのではないでしょうか。
まぁ、断られ続けたら凹みますかね😂
関係を続けるかどうかは自分で決めていることなので。
アサーティブにいこう。