今は落ち着いたんですが、初回の抗がん剤の吐き気が酷かったもので、ちょっと泣き言的なことをある場所に書き込んだら、
「こんなことがあったと笑える日が来ますように応援しています」
とコメントくださった方がいまして、優しい方だな、ありがたいなぁと思いました。
と同時に、不要な心配させちゃって申し訳ないと思いました。
さっきお風呂上りに自分のはげ散らかし具合をパートナーと鑑賞しながら
「実験に失敗した博士」「生まれたばかりのオランウータン」「落ち武者」「電撃ネットワーク」
と2人で爆笑していましたw
最後に「帽子が似合うねぇ」と〆てくれるところがパートナーのいいところです😊
長い人生の中に、髪型が面白い時期があるのも悪くないです。
思うんですけれど、
自分の周りには常に数えきれないほどの出来事が起こっていて
(例えば猫があくびをしたとか、風が吹いたとか、誰かが何かを話しているとか)、
その中で自分がキャッチできているもの(気づいているもの)って、ほんの少しなのではないでしょうか。
今までキャッチしてハッピーだったものが、例え失われてしまったとしても、
(例えば私ならイカフライ弁当を食べておいしいと思っていたこととか・・・今は無理)、
私の周りにはまだ数えきれないほどの出来事が起こり続けているので、
またいくらでも楽しいことをキャッチできると思うんです。
そのキャッチする気力がなくなってしまうことが一番怖いことかもしれません。
人間が最終的に最も幸せを感じる感情は、感謝だという話を聞いたことがあります。
感謝って、自分が周りに与えているものより、自分が周りから受け取っているものの方が多いということに気がついて、
「ありがてぇ(^▽^)/」って感じることだと思うんです。
今、私は療養生活をしているので、毎日ありがてぇことの連続です。
医療を受けられて、支えてくれる人がいて、ほんとにありがてぇ。
実は幸せを感じるのに一番近い場所にいるのかもしれない。
ありがてぇことをキャッチするアンテナだけは曇らないように、せっせと磨いておきたいなぁと思います。