秋田出身の42歳。高知在住。
小学生のときはファミコン、中学生のときは電気グルーヴにどっぷりハマる(今も)。
中学3年生のときに技術の授業でBASICに触れてプログラミングの面白さに衝撃を受ける。
中学生のときに初めて作ったプログラム
その後、東芝の子会社のシステムエンジニアになる。携帯電話のミドルウェア開発を希望していたが、配属先は自動車のエンジン制御システム開発だった。
3年後、自分の仕事のできなさにメンタルをやられて退職。車に全く興味が持てなかったことも仇となった。
これからは全く違う仕事をしたいとぼんやり考えていたとき、村上春樹さんのエッセイ「讃岐・超ディープうどん紀行」を読み、興味を惹かれ香川に旅行。
昔ながらのうどん屋をいくつかまわり、外のベンチに腰かけて山や川や田んぼを見ながら、ずるずるとうどんを食べていたときに「そうだ、香川に住もう」と思い、移住。うどん屋で製麺や接客をする。
休日にドコモのiアプリゲームで遊んでいたときに、明らかに素人が作ったであろうゲームを見つけ、iアプリは誰でも自由に制作して公開できることに気づく。
さっそくネットでiアプリの作り方を調べ、「どっちが安い?」という(小学生レベルの知識で制作できる)iアプリを制作。公開したところ、6万ダウンロードを記録。
プログラミングの楽しさを思い出し、うどん屋で働きながら12個のiアプリを制作。またIT業界で働きたいという想いを抱く。
退職したものの、IT業界から離れていた7年というブランクや、また会社員として働くことに不安があり(メンタルが弱いので)、まずはのんびり日本中を周り、住みたいと思える場所、したいと思える仕事を見つけたいと考える(7年前にうどん屋のベンチで感じたように)。
原付で北海道から沖縄まで1ヶ月かけて縦断し、いろんな景色に触れる。
しかし、すてきな場所はたくさんあったものの、7年前に香川で感じたような「これだ」という気持ちにはなれなかった。
とりあえずお金がなくなったので短期バイトでもしようと香川の印刷所で年賀状印刷のバイトをする。
短期バイト終了後に、このまま長期パートとして続けないかと打診を受け、写真校正の仕事に就く。Photoshopのスキルを習得する。
印刷所で働きながら、帰宅後にAndroidアプリを制作し続け、「いつかアプリ制作で食べていけるようになりたい」と野望を抱く。
父が亡くなり、葬儀で久しぶりに会ったいとこから「起業するのでホームページを作ってほしい」と依頼を受け、ネットで調べながら何とか制作。とても喜んでもらえ、ホームページ制作の楽しさを知る。
日本縦断旅行中に出会い、一緒に暮らすようになったパートナーが和歌山へ単独で釣りに出かけ、生き生きとした表情で帰ってきたのを見て、和歌山への移住を決める。私自身もずっとこのまま印刷所で働くことに疑問を感じていたことも後押しとなった。
白浜で海の見える別荘を格安で貸していただく。空き家として放置されていた期間が長かったせいで傷んでおり、10か所以上から雨漏りし、風呂場にドアが付いていなかったが、部屋から見える海は最高の眺めだった。海を見ながら暮らすことの楽しさを知る。保護ネコを飼い始める。
「アプリの広告収入で食べていけるようになりたい」とひたすらアプリを制作し続け、80個のアプリを作る(現在はそのうち49個を公開中)。しかし収入は月2万円程度だった。
とにかく日々暮らすお金が足りなく、クラウドソーシングでアプリ制作やホームページ制作の依頼を探して引き受けるようになる。
ちょうどスマホが普及し始めた時期で、ホームページをスマホに対応させたいという依頼が増えていたことが幸いし、経験が浅い割には多くの仕事を受注することができた。
スキルが上がっていく中で、WordPressでホームページ制作をするようになり、その仕組みのスマートさや拡張性に感動し、ホームページ制作がどんどん楽しくなる。アプリ制作よりホームページ制作のほうが自分に向いていると感じるようになる。
起業して個人事業主となる。私に一番初めにホームページ制作を依頼してくれたいとこが、幼少のときにつけてくれたニックネーム「エリコリ」から、屋号を「エリコリドットコム」とする。
借りて住んでいた別荘が売りに出され、急遽引っ越すことになり、空き家バンクで高知県に海の見える空き家を見つける。
移住先のスーパーで売っているカツオのたたきがあまりに安くて美味しく、大歓喜する。
家の窓から海で泳いでいるイルカを見つけ、感動する。
ありがたいことにホームページ制作業が軌道に乗り、やっと日々暮らすことに困らなくなる。
ずっとアプリ制作で暮らすことを目標にしてきたが、ホームページ制作の楽しさを知り、Webエンジニア・Webデザイナーという職業は私にとって天職ではないかと思うようになる。
今後は自身オリジナルのWebサービスもさらに開発・運営していきたい。
ステージⅡBの乳がんが発覚し、2023年1月に右乳房全摘出手術をうける。見つかりにくいガンだったらしく、見つけてくれた主治医の先生に心から感謝。
同時に周り(パートナー、家族、親戚、友達、仕事仲間、取引先の方など)にたくさん支えられていることに改めて気付く。
2023年8月に抗がん剤治療が無事に終わり、10年生存率9割超えに!ありがたや~!!!
これからも自分らしい暮らしと仕事を続けていきたい。今後は感謝を胸に抱きながら。